アイルランドの旅 1日目:ダブリン ― 2008/07/24 23:36
今週は1週間休みをとり、前半のイングランド湖水地方に引き続き、後半はアイルランドのダブリンと南部地方に出かけることにした。
今回の旅のきっかけになったのは、カナダ駐在時代のアイルランド人の友人トニーが里帰りをする際に、遊びにこないかと誘われたのがきっかけ。彼の帰国日にあわせて、自分も休みをとり、ダブリンにやってきた。
今回はじめて、ディスカウント航空の雄、ライアンエアを使うことにした。ライアンエアはアイルランドの会社のため、ブラッセルからダブリンへの直行便があるため。ただし、ブラッセルの出発空港はすこし遠いシャルロワ空港。家から45キロ、約1時間かかる。
しかも、出発が朝6時半。こういったところがディスカウント航空の特徴か。今回、折角安いチケットを購入(片道約50ユーロ)をしたのに、帰国便の予約を間違えた日で行なったため、結局一枚買いなおすことになった。そのため、普通の飛行機会社でも同じぐらいの料金だったのではないかと思う。
朝3時半に起き、眠い目をこすりながらシャルロワ空港へ。今回はじめてだったが、非常に新しいターミナルでびっくり。ライアンエアでは、人でのチェックインやチェックイン荷物までそれぞれお金を徴収する徹底ぶり。事前にそのお金は払ってあったので、スムーズにチェックイン。ボーディング・パスをもらって、驚いたのは座席がフリー。早めに並んで席とりをする仕組み。ただし、追加料金を払えば優先搭乗をさせてくれ、早めによい席が確保できる。自分は普通のチケットだったので、早めにカウンターにならんで、比較的前の席を確保することができた。
飛行機は時差が1時間あるため、現地時間の7時前に到着。友人が朝早いのにかかわらず迎えに来てくれた。
<ホウズ> 時間が非常に早いので、観光地の施設は空いていないので、まずは郊外の海に友人の車で向ったのはホウズの海岸。ここは、ダブリンの東北東にあるデべそのように突き出した小さな半島。この半島を一周する周遊路が有名とのこと。また、ここは猟師達が魚を水揚げする港がある。久々に潮の香りをかいで、日本を思い出した。
周遊路や、ヨットハーバーや魚市場周辺をゆっくり散策した。
<フェニックス公園> 次に向ったのは、面積713ヘクタールで、ヨーロッパで一番大きいといわれるフェニックス公園。公園内には大統領官邸、米国大使館、動物園などがある。もともとは1662年にオーモンド公爵が鹿狩ようの公園をつくったのがきっかけ。大統領官邸は残念ながらみることができなかった。
今回訪れたのは、ビジターセンターと、前法王ヨハネ・パウロ2世が訪れた場所。ここには大きな十字架が建っている。公園の広さには本当に圧倒される。法王がこられた時にはこの広場が敬虔なアイルランドのクリスチャンで埋め尽くされたというから驚きだ。 ここでは遠足にきていた子供達にせがまれて写真を撮影。
<オコンネル・ストリート> いよいよ次は市街地に入る。車を駐車場に置き、歩き始める。街の中心を貫くのはオコンネル・ストリート。イオニア式の6本の柱が目立つのは中央郵便局。この建物は1815年の建設。1916年のイースター蜂起の際にアイルランド義勇軍の司令部にもなった。建物には未だ銃痕がみられる。オコンネル橋の袂にはオコンネルの銅像が建つ。
<トリニティカレッジ> 次に訪れたのはトリニティカレッジ。ここでは、現役の大学院生によるツアーに参加。一通り大学の建物を見学。最後に、最大の見ものはケルト芸術の最高峰でアイルランド最高の宝とされる「ケルズの書」。「ケルズの書」とは豪華な装飾が施された4つの福音書のこと。実はトニーも今回はじめてみたとのこと。足元暗しとはどこの国も同じ。
<セント・スティーブンス・グリーン> 大学をでたあとに向ったのは、セント・スティーブンス・グリーン。この公園は9ヘクタールもある市民の憩いの場。もともとはここの住人専用の庭だったが、1877年にあのギネス卿が誰でも自由に出入りできるように議会で法律を通したもの。彼は庭づくりにも出資した。
<クラフトン・ストリート> 公園の北にはクラフトン・ストリートがある。この通りはバスカーズと呼ばれるストリート・ミュージシャンや芸人がパフォーマンスをする活気ある通り。残念ながら、雨もあって、今日はその姿をみかけなかった。 通りの端には、歌にでてくる「モーリー・マローン」の銅像がある。
<ダブリン城> 次に税関の重厚な建物を横目に、次に向ったのはダブリン城。この城は1204年にジョン王によって建てられたものでイギリス支配のシンボルだった。
<クライスト・チャーチ大聖堂> 次に向ったのはクライスト・チャーチ教会。これはイギリス最古の教会。歴史は1018年までさかのぼる。最初は木造だったが、1172年に現在の石造りに改築された。
<テンプル・バー> 次に4つの裁判所であるフォー・コートを横目に、リフィ川を渡って南岸のテンプル・バーへ。テンプル・バーは石畳の通りで、中世にはダブリン経済の中心だったが、19世紀以降スラム化していた。1991年からヨーロッパ地域開発資金や政府援助で再開発がはじまり、現時ではさまざまなアート系文化機関が集まるダブリンの最先端のカルチャー・エリアとなった。
<ハー・ペニー橋> これでダブリン市内の街歩きは終わり、ダブリンのランドマークであるハー・ペニー橋を渡って駐車場にもどった。
<ダン・レアリー> 最後に向ったのはダブリンの南東にある港町ダン・レアリー。ここはアイルランドの主要な港で、イギリスのホーリーヘッドからのフェリーやヨットが行き交う。朝訪れたホウズよりも高級な住宅が並ぶ。ここには小さな海水浴場があり、そこで冷たい海に飛び込む若者達をみかけた。
ダン・レアリーでイタ飯を食べた後、トニーに空港まで送ってもらい、そこでレンタカーを借りた。今回もエイビス。一番小さい車を頼んでおくといつもはアップグレードされるのだが、今回は予約した車のサイズがあったようだ。トヨタ・ヤリス。なんとエアコンがついていなかった。その車でホテルへ。
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