キエフの山の手早歩き2008/08/22 23:18

ソフィア教会

今日は、キエフでの販売店の訪問。相変わらず天気がよい。30度前後か。日頃天気の悪いブラッセルで暮らしていると、こうゆう天気がうらやましい。

仕事は3時過ぎに終了。一緒に来ていた仲間は空港に向った。自分は、プライベートで予約していたドニプロホテルへ。このホテルは、ソビエト時代の高級ホテル。ところが部屋に入ってびっくり。ソビエト時代そのままのようなので、現在では2つ星程度。冷房も冷蔵庫もない。こんなくらいならば、昨日のSASホテルの値段を聞いて連泊しておけばよかったと後悔。値段は休日価格の2泊で209ユーロと破格だが、SASはどうだったんだろう。場所がネザレージュノスティ(独立)広場に近いので、どこにいくにも便利なのだが・・・。

キエフは1500年余の歴史を数える東スラブ随一のこと。「ルーシ(東スラブ)諸都市の母」と称えられ、現在もウクライナの首都として人口300万近い大都市。

<ネザレージュノスティ(独立)広場>

まずは、ホテルの近くにある独立広場へ。この広場でオレンジ革命が起こったのは有名。日曜日の独立記念日の準備をしているようだった。

<ソフィア教会>

一旦、チェックインした後、主な見所を散策。まずは、ソフィア大聖堂。1037年に建てられた現存するキエフ最古の教会。当時のギリシャ正教の最高府。残念ながら、今日は早く閉まっていて、中にははいれなかった。

<聖ミハイル修道院>

次に向ったのは、聖ミハイル修道院。入口の鐘楼は1716年に作られたが、ソ連時代にミハイル修道院とともに破壊された。1997年から98年に修復された。入口の鐘楼をくぐると鮮やかな青い聖ミハイル聖堂が目に入る。

<アンドレイ教会>

次に向ったのはアンドレイ教会。ロシアの女帝エカテリーナII世のキエフ訪問を記念して1749年から建設がはじまった教会。設計はエルミタージュ宮殿を手がけたイタリア人ラストゥリ。

<アンドレイ坂>

アンドレイ教会の前はいろいろな露店が出ているアンドレイ坂。この道沿いには1本道の博物館、ミハイル・ブルガーコフの博物館等がある。

<黄金の門> 次に、アンドレイ坂の反対側にでて、メインストリートのウラジミール通りを南に歩くと黄金の門にあたる。この門は11世紀前半に街が城壁で囲まれたときに築かれたもの。上に上ってみたが、景色は今一だった。

<シェフチェンコ国立オペラ・バレー劇場>

すぐ隣にあるオペラ・バレー劇場で今週末の予定を聞いたが、オペラ、バレーは9月にならないと始まらないとのこと。がっかり。

<ウラジーミル聖堂>

さらに南下するとウラジーミル聖堂に着く。1882年に完成したキエフでは新しい方のロシア正教会。豪華なフレスコ画に目を奪われる。写真を撮ろうと思ったが、お金がいるとのことで止めにした。

<キエフ大学>

ウラジーミル聖堂の向かいはキエフ大学。1834年に創立されたウクライナで2番目の大学。建物の赤が際立つ。これは、ロシア皇帝ニコライI世が、徴兵拒否運動を起こした学生への罰として、建物を血の色に塗りつぶさせた名残。

その後、フレシチャーティク通りをとおり、独立公園を抜けてホテルへ。途中で、バッフェのレストランでウクライナ料理を食べた。

それにしてもキエフは美人が多い。まるでモデルのような女性と何人もすれ違う。ヨーロッパで一番美人比率が高いのでは?・・・