晩秋のシチリア:シラクーサ・ノート・ラグーザ ― 2008/11/09 23:30
【シラクーサ】
<ドゥオーモ広場>
今朝は7時に起きて、朝食をとり、外に散策に出かけた。ドゥオーモを再度訪れる。朝、誰もいないドォーモ広場はすがすがしい。
そのまま、海岸に向う。アレトゥーザの泉は、地元っ子の待ち合わせ場所という。イオニア海に釣り糸を垂れる人がいる。
<ネアポリ考古学公園>
チェックアウト後、車でネアポリ考古学公園に向う。9時の開館の直前に到着。ところが切符売り場がわからず、うろうろしているうちに、後からきた人達に出し抜かれてしまった。
<ディオニシオスの耳>
公園に入ってまず向ったのは「天国の石切り場」。「ディオニシオスの耳」が有名。この名は、カラヴァッジョが1603年につけたもの。高さ36mの洞窟内の音響効果は抜群。小声でも聞こえてしまうので、この名がついた。ここでカラオケでも歌うと気持ちがいいだろう。
<ギリシア劇場>
次に向ったのは、ギリシア劇場。シチリア最大のギリシア劇場。紀元前3世紀に着工されたもの。
<古代ローマの円形闘技場>
公園の南側には、ヒエロン2世の祭壇と古代ローマの円形闘技場がある。この闘技場は3~4世紀帝政時代のもの。
次に、高さ90mの三角形の建物「マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂」に向う。今日は何かのイベントがあるらしく、観光バスが並び、多くのシスターが歩いている。
聖所記念堂の向かいにある州立パオロ・オルシ考古学博物館に入ろうとしたが、どうやら改築中で、閉館していた。すぐそばにある1693年の地震で被害を受けたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会を撮影。
【ノート】
車に乗って、次に向ったのはノート。ここは、1693年のシチリア南東部の大地震で町が壊滅した後に大規模な都市計画で建てられたバロック様式の町々の1つ。ノート渓谷にまたがるカルタジローネ、カターニア、ノート、ラグーサ等が後期バロック都市として2002年にユネスコの世界遺産として登録された。
ノートは、旅ブログで交流のあるデコさんお勧めの町。ニコラチ通りのバルコニーに飾られた彫刻が美しい。ドゥオーモ、市庁舎を始めとしてヴィットリ・エマヌエーレ通りに建ち並ぶバロック様式の建物もとても美しい。
【ラグーサ】
次に、同じくバロック都市のラグーザに向う。ナビで向うのだが、最短ルートを取ったのか、メインの高速道路を外れて、ノート渓谷を横切る県道のような道に導かれた。なかなか興味深い景色だが、スピードは上がらない。おかげで、1時間もかけて到着。
ラグーザは、高台のラグーザ・スーペリオーレと下のイブラ地区に分かれる。まずは、高台の大聖堂に到着。日曜日は人が全くでておらず、ゴーストタウンのように寂しい。ノートに比べると今一。
さっさとイブラ地区にむかう。ここでは、サン・ジョルジョ大聖堂が見もの。みつけづらく、何人かの人に道を聞いてようやくたどりついた。残念ながら、時間があわず中にはいることはできなかった。
【ピアッツァ・アルメリーナ】
次に向ったのは世界遺産に指定された「カサーレの古代ローマの別荘」のあるピアッツァ・アルメリーナ。本当は、陶器細工で有名なカルタジローネにもいきたかったのだが、ラグーザで思いのほか時間をつかってしまったので、割愛せざるをえなかった。
今回もノート渓谷の中の細い道を通り、5時近くになり、日が翳ってきた頃にようやく到着。ところが、様子がおかしい。駐車場には車が1台もなく、お土産屋さんもすべてしまっている。どうやら改築中で、閉まっているようだ。今日2回目。こんなに遠くまできたのについていない。ガイドブックは4年前のものなので、そこまでわからなかったのか・・・。事前調査不足を嘆く。
【アグリジェント】
やむなく、今日の宿泊地アグリジェントに向う。1時間半程度で着く予定だったが、何と大渋滞にはまってしまた。わずか5キロを1.5時間も使うはめに。今日の午後は全くついていない。理由は主要幹線が交わる場所での自然渋滞だったようだ。
ようやく、今日のホテルであるホテル・コスタルッツァに到着。一泊、わずか60ユーロ。駐車場も整備されていてとてもよい。夕食は、疲れて外に出る気もなかったので、ホテルのレストランで。2コースがついたフルコースでわずか16ユーロ。トマトソースのペネと子羊の肉を食べたが、値段の割にはとてもおいしかった。
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