コート・ダジュールの休日【2】エズ・マントン・ニース2008/11/16 23:50

ニースの海岸

【エズ】

朝は7時に起床し、7時半から朝食。8時過ぎにはホテルを出た。早速、車に乗って、エズに向かう。急な坂を登って、さらに縦走のような形で、高所を走る。朝の海がまぶしい。

エズは、海抜420メートルのおとぎの国。コート・ダジュールの鷲の巣村のなかでも一番人気。

エズの入口の駐車場に車を停め、坂を登っていく。朝、まだ早く、誰もいない。お店も全く開いていない。人っ子一人いない。家の中からは、朝食の準備をする音が聞こえる。迷路のような細い道を、いったり来たり。絵になる場所が多く、写真をパチパチ。シャトー・エズというホテルがあるが、一泊150~890ユーロとのこと。

エズの高台には、エズ庭園がある。9時の開園を待って入場。ここもサボテンの植物園。古い城の跡につくられたもの。ここから見渡すコート・ダジュールの眺望はすばらしい。

【マントン】

次にむかったのは、レモン祭りで有名なマントン。レモン祭りは2~3月なので今回はみれなかったが・・・。マントンへは、3つの道があるが、選択したのは一番高い所を走る剣道2564号線、グランド・コルニッシュ。地中海の雄大な展望をみながら運転。

<ジャン・コクトー美術館>

車を海岸沿いに停めて歩き始める。すると、海岸に突き出たジャン・コクトー美術館に着いた。コクトー美術館は、当時の廃墟の要塞をコクトーがマントン市長にかけあって譲ってもらったもの。外壁は海岸の小石を使ったモザイクで飾られている。 コクトーの作品を見たのは、今回が初めてだったがなんだか味のある暖かい絵だった。

<旧市街>

そのまま海岸沿いを歩くと、数多くのヨットが停泊する旧港に着く。その脇に旧市街が広がる。この地方に残る最も美しいバロック建築の街並みの一つといわれている。

坂を登ると、サン・ミッシェル教会の尖塔が見えてくる。サン・ミッシェル教会の前は白色苦行会礼拝堂。

その横を抜けて、さらに坂をのぼると丘の頂上に古城の墓地が広がる。墓地のテラスからは、イタリアまで続く海岸線とマントンの赤い屋根の旧市街が広がる。

坂をおり、黒色苦行会礼拝堂の横を通って、新市街にはいる。まず、目に入ったのは県立考古学博物館。時間がないので、中には入らず。その近くには、コクトーの絵が描かれた結婚の間がある市庁舎。残念ながら、日曜日は中にはいることができない。

【ニース】

最後に、ニースに向けて車を走らせる。ニースへは、海岸線沿いを走る国道98号線、コルニッシュ・アンフェリウールを使う。地中海沿岸を快適にドライブ。一人というのが悲しいが・・・。

ニースへは今年3回目。前の2回は出張だったので、ゆっくりニースの町をみることはできなかった。今回は、飛行機の時間が夜の9時40分なので、有り余るほどの時間がある。

<旧市街>

まずは、旧市街の細い路地を散策。旧市街は意外に庶民的。すでに午後になっているので、サレヤ広場での朝市をみることができなかった。ただ、広場周辺のレストランでは多くの人たちが食事を楽しんでいた。ミゼリコルド礼拝堂は中に入れなかったが、ラスカリ宮は中を見学。17世紀のラスカリ=ヴァンテミリヤ公の邸宅は、まさに宮殿。

<城跡のある丘>

旧市街を出て、ニースの海岸に出る。11月というのに陽光がまぶしい。砂浜には甲羅干しをする人たちも。旧市街の東側にある城跡のある丘を登って、ニースの海岸を眺める。にパンフレットに載っているニースの海岸そのもの。すばらしい眺め。

<プロムナード・デザングレ>

丘を下って、海岸沿いを歩く。全長3.5キロの大通り、プロムナード・デザングレ。1830年、在住イギリス人の出資金で造られたのでこの名がある。ビーチにはまだ沢山の人たちが太陽の光を惜しんでいる。大通りもヒト・ヒト・ヒト。この通りをゆっくりと散策。

海岸の反対側には、ベルエポックの豪華な建物が立ち並ぶ。19世紀末から第1次大戦にかけて「ベルエポック(よき時代)」と呼ばれる時代に来たヨーロッパの王侯貴族が避寒に訪れた。彼らが豪華な「冬の宮殿」として建てた別荘が今も残っている。現在は高級ホテルに変わっている。「ネグレスコ」はその代表。

<サン・ニコラ大聖堂>

ネグレスコまで、歩いてそこから北に折れ、600メートルぐらい歩くとサン・ニコラ大聖堂につく。これは、本国以外では最大規模のロシア正教会聖堂。中は、ロシア正教の教会に違わず、絢爛豪華。

<夕暮れのプロムナード>

取って返すと時間は5時過ぎ。すでに日が暮れている。夕焼けの海岸を眺めながらプロムナードを旧市街へ戻る。旧市街の夜景も写して、今日の日程の終了。