バルト3国訪問一日目:エストニア・タリン ― 2008/05/01 23:30
今回は、4連休を利用してベルギーのPIトラベル社の「魅惑のバルト3国周遊 4日間」というツアーに参加。同社のツアーに参加するのは昨年のアイスランドに続いて2回目。
朝は、8時半にブラッセル空港で集合。出発は10時15分。いつもなら1時間前に空港に着くようにするのだが、さすがにツアーは余裕を持って集合させている。ストックホルムでタリン行きに乗り換える。当初はもっと早い時間に飛行機が予約してあったそうだが、その便がキャンセルになり、なんと待ち時間が3時間15分。仕方がないので、ラウンジで旅行記を書いていた。
タリンに着いたのは17時40分。集合時間から数えて9時間10分。これだけの時間を使えば、トロントやニューヨークぐらいは楽楽いけたのだが・・・。
今回のツアーには、夫婦、家族連れを中心に合計17名が参加。そのうち、子供が3人。単身で参加したのは、ドイツから参加の女性1名と同僚の鈴木君と私の3名。前回のアイスランドツアーよりは、人数も単身者も多い。
ホテルに着いてチェックインして荷物を置く。ホテルは旧市街に近いホテル・スカンディック・パレス。部屋もなかなかよい。
<トームベア> ガイドさんに従ってまずは旧市街の山の手地区・トームベアへ。トームベアは石灰岩の層でできた高さ約24mの丘。ここは常に権力の居城となってきた。エスニアの神話では、トームベアは古代の王かレフが眠る巨大な墓陵とされている。
<キーク・イン・デ・キョク> 日本大使館の前の坂を登ると円柱型の塔が見えてくる。これはキーク・イン・デ・キョクと呼ばれ、15世紀の末に町の防御のために作られた。高さは49m。
<トームベア城> さらに坂を登るとトームベア城が見えてくる。ここは13世紀前半に、かつてエストニア人のとりでがあった場所に建てられた騎士団の城。補強が繰り返され、現在の姿になったのは18世紀後半。当時の権力者エカテリーナⅡ世が知事官邸として使うための回収をさせたもの。現在は政府の一部と議会が城内にある。
<アレクサンドル・ネフスキー聖堂> トームベア城の向かいにはアレクサンドル・ネフスキー聖堂がある。1901年に支配者の帝政ロシアによって建設されたロシア正教会。政治的な意味があり、エストニアが独立を果たした時に移転の話があったが、実現はしていない。
<大聖堂> 少し進むと今度はプロテスタントの教会が現れる。これは大聖堂(ドーム教会)と呼ばれ、1219年にデンマーク人がトームベアを占領してすぐに建設したエストニア本土で最古の教会。タリンにおける中心的な教会。この教会は山の手の裕福な人たちが利用していた。
<展望台> ここから、2つの展望台に進む。展望台からはタリン旧市街の下町が広がる。遠くにはタリン港がみえる。展望台周辺にはかつての貿易商人たちの豪華な家屋が立ち並ぶ。現在は大使館や政府の施設となっている。
<ピック・ヤルク通り> 次には下町に下りる。山の手から下町に下りるには2つの道がある。一つはロング・レッグと呼ばれる広いなだらかな坂と、もう一つはショート・レッグと呼ばれる、細く急な坂。今日はロング・レッグを下って、下町へ。
<聖霊教会> ロング・レッグを下りきると聖霊教会にたどりつく。この教会は少なくとも14世紀の初めには存在していた古い教会。この教会は下層の人たちが利用していた。17世紀の大時計も見事。
<グレート・ギルドの会館> 聖霊教会の前にはグレート・ギルドの会館が建つ。1410年に建てられ、ギルドの集会やパーティ、結婚式等に使われてきた。
<ラエコヤ広場> 聖霊教会の横の道を通り、門をくぐると大きな広場に出る。ここが、中世の頃から市場として存在したラエコヤ広場。
<市議会薬局> くぐった門の隣には市議会薬局がある。この薬局はヨーロッパで最も古いものの一つ。評判が高く、ピョートル大帝の死の床にもこの薬屋が呼ばれたという。
<旧市庁舎> ラエコヤ広場の南面には旧市庁舎がそびえ建つ。北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎。14世紀半ばに最初のものが立てられ、1404年の増築後に現在の姿になった。65mの塔の上にはタリンのシンボル、トーマスおじいさんが風見をしている。
<夕食> ここでやっと夕食。夕食は昔の商家を改装したレストラン「ペッパーサック」。外壁には胡椒の袋が下がっている。昔の商家は2階に倉庫があり、荷物を出し入れするためのフックが外壁についている。
食事は、ドイツ風のポークステーキ。そこそこの味。ここで、参加者の自己紹介があった。
<夜景> 食事を終えるとすでに11時。夜景を撮影しながらホテルに戻る。その中の一つが聖ニコラス教会。ホテルに一旦もどって、三脚を持ち出し、再び外へ。今日観光で回ったコースをもう一度歩き、ライトアップされた姿をとって歩いた。
バルト3国訪問2日目:ラトヴィア ― 2008/05/02 23:47
今日はタリンからバスでラトヴィアに向かう。ラトヴィアでは、スィグルダとリーガを目指す。
朝6時半に起き、朝食。朝食はちょっと殺風景な内容。朝食後、急いで昨日見損なったポイントを30分で大急ぎで周った。ブラックヘッドのギルド、聖オレフ教会、3人姉妹、太っちょマルガリータがその対象。集合時間の8時ぎりぎりとなり、本当に走ってもどった。大汗をかいてしまった。
<ラトヴィアへ> バスは約5時間かけてラトヴィアのスィグルダへ向かう。途中に見える風景は、白樺の林。のんびりとした光景。また、コウノトリの巣を多くみかける。ラトヴィアの国境は、現在解体中。昨年11月にバルト3国がシェンゲン条約に加入したため、パスポート提示が不要になったのだ。
<スィグルダ> スィグルダは深い渓谷と豊かな緑で「ラトヴィアのスイス」と呼ばれている。ラトヴィア人のガイドさんは、ラトヴィアの最高峰は300mの丘で、そこでスキーができると誇らしげにいっていた。ここは、ラトヴィア人のリゾートで、紅葉の季節にはたくさんの人が訪れるとのこと。ガウヤ川にはロープウェイがかかっている。
スィグルダにはかつてリーヴ人が住んでいた。13世紀に帯剣騎士団によって占拠された。この帯剣騎士団は、当時のならず者たちで教会から免罪符を得るために十字軍に参加したもの。
やがて、帯剣騎士団と僧正側との関係が悪くなり、ガウヤ川をはさんで、西がリーガの僧正領、東が騎士団領となった。
<スィグルダ城址> まずは、帯剣騎士団によって建てられたスィグルダ城址に向かう。この城は1207年に建設が始まり20年後に完成したが、度重なる戦争で破壊されてしまった。城門には騎士団の証文が埋め込まれている。
昼食は、ニューキャッスルというかつての貴族の館で、現在市役所とレストランになっている場所でとる。メインは魚。そこそこのおいしさ。ラトヴィア名物のライ麦のパンがとてもおいしい。
<トゥライダ城> 次に訪れたのはトゥライダ城。赤レンガが美しいお城。トゥライダとは「神の庭」ということ。13世紀初めに騎士団がリーヴ人の城を破壊し、その後リーガのアルベルト僧正によってこの場所に建てられたもの。
塔を上るのは一苦労だが、そこからの景色は本当にすばらしい。本丸は現在博物館になっていて、当時の様子がわかる。
ここには多くの人が訪れており、ラトヴィアにとってはとても大事なものであることがよくわかる。
<リーガへ> 再びバスに乗り、1時間かけてリーガへ。リーガへはつい2週間前に訪れたばかり。今回泊まるホテルまでおなじ。
バスはリーガ大聖堂の近くにとまり、そこからリーガ旧市街の3時間のウォーキングツアーがはじまった。
<リーガ大聖堂> 最初は、リーガ大聖堂。中にはいり、すばらしいステンドグラスをみる。有名なパイプオルガンが改修中であった。回廊には大砲や風見鶏など色々なものが展示されている。
<市庁舎広場> その後、ブラックヘッドのギルドがある市庁舎広場で30分の休憩。ここでツアーが終わってしまうと思い、またまた駆け足で主なポイントを一回り。大汗をかいた。ただし、これは完全な勘違いだった。
<聖ペテロ教会> 休憩後一行は、聖ペテロ教会に向かう。聖ペテロ教会裏にあるブレーメンの音楽隊のいのししの鼻を皆がタッチ。これで幸せになれるという。
<聖ヨハネ教会> その隣の聖ヨハネ教会の壁には二人の修道士が災いから建物を守るために、自ら埋め込まれた。すぐに命を落としてしまったが、当時の法王はその行為を利己的とみなし、彼らは聖人として認められなかった。また、壁には口を開いた二つの修道士の顔がみえるが、ここから神父が外部に説教したという。
その後、猫の家、リーガ城、火薬棟、城壁、スウェーデン門、三姉妹、聖ヤコブ教会等をみたあとアール・ヌーボーのアパートを見学。ここで今回の旅で初めて雨に見舞われた。その後ホテルにチェックイン。ホテルはラトヴィアホテル。このあたりでは一番大きなホテル。
<夕食> 今日の夕食はフリーだったため、ホテルで荷物を置き、夜景撮影用の三脚を持って、鈴木君と再びダウンタウンへ。地球の歩き方に紹介されているアルス・セータというラトヴィアの田舎風ビアハウスへ。バッファスタイルで気軽に食べることができた。
バルト3国訪問3日目:リトアニア ― 2008/05/03 23:31
今日は、リトアニアの首都ヴィリニュスに向かう。途中、十字架の丘、カウナス、トゥラカイを経由する。
今日のガイドさんはリトアニア人のユリアさんというヴィリニュス大学で日本語を教えている先生。日本語がとてもうまい。反町隆が主演した杉原千畝のドラマではリトアニアでのロケの通訳を務めたとの事。
朝ホテルを8時に出発して、まずは十字架の丘のあるシャウレイという町に向かう。リーガから約2時間。途中、シェンゲン加入で使用されなくなった国境を通過し、リトアニアに入る。リトアニアに入ってから道が少しよくなった。ガイドさんは自慢げ。
途中、ガソリンスタンドでトイレ休憩。大型バスを止めてトイレだけ借りるなんて申し訳ないと思ったが、よくよく考えれば、このGSは高速道路のサービスステーションなのだ。
<十字架の丘> 10時半に十字架の丘に到着。野原の真ん中に10メートルほどの小さな丘があるが、そこが無数の十字架で埋まっているという特異な光景に出会う。最初の十字架は1831年のロシアに対する蜂起の後、処刑された人々のために立てられたらしい。他にもいろいろな伝説があるという。
ソ連時代には、この丘は禁域とされ、何度も焼き払われたりしたが、その都度夜陰にまぎれて、翌朝には十字架が立っていたという。
現在は、願いをかなえてくれる場所として十字架を残していく人たちが多い。結婚式を終えたカップルが幸せを願い、十字架を残すともいう。
ガイドさんがしきりにここは、お墓ではなく、希望をかなえてくれる場所なので、明るくとらえてほしいといっていた。ここには、ヨハネパウロ2世がリトアニアのロシアからの独立直前に訪問し、独立の希望がみえると話したという。
<カナウス> 十字架の丘を後にして、つぎはカナウスに向かう。カナウスは中世にハンザ同盟により栄えた都市。また、両対戦の間の22年間、ポーランドに占領されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた。
カナウスの旧市街の中心地、旧市庁舎の横のレストランで食事。食事はリトアニア名物の赤カブのスープ、シャルティパルシチェイにメインはツェッペリンという芋でできた食事。なかなかおいしい。
この旧市庁舎は「白鳥」に例えられる美しいバロック様式の建物。この旧市庁舎は現在結婚登記所となっていて、新婚のカップルが次々と訪れるのをレストランの窓から眺めた。
食事の時間が長くなり、旧市庁舎周辺にある歴史的な建物の写真を撮る時間さえなかったのが悔やまれる。
<杉浦千畝記念館> 昼食後は、「日本のシンドラー」という杉原千畝の記念館に向かう。杉原千畝は第2次世界大戦初期、ナチスの迫害を逃れ日本通過に活路を求めたユダヤ人に対して、本国の指示に背いてビザを発給して6000人ものユダヤ人の命を救った。
彼の生涯をまとめた短いビデオを展示室でみたが、本当にすばらしい行為であり、日本人として大変誇りに思えた。彼のことは多くのリトアニア人が知っており、また戦後この行為がもとでシベリアに抑留された後、日本に戻った彼をイスラエルが探し当て、感謝の意を表している。今でもユダヤ人の間では、忘れえぬ人になっていることがひしひしと伝わってきた。
<トゥラカイ> 次に向かったのはトゥラカイ。ヴィリニュスに移る以前にリトアニアの首都が置かれていた場所。赤レンガのトゥラカイ城が水面に生える。30以上の湖と森に囲まれたリトアニア唯一の歴史国立公園の一部。ヴィリニュスから30キロと近いこともあり、地元の人たちが多く訪れる。
トゥラカイ城は14世紀後半にチュートン騎士団の侵略を防ぐために建設された。リトアニアの最も有名な王、ヴィータウタス大公はここで生まれたという。1405年にはこの城はヴィータウタス大公により、ベネディクト会の修道士に譲られた。
堀にかかる跳ね橋を渡り本丸を見学。場内には歴史資料が展示されている。
また、この地方にはカライメという少数民族が住む。この民族は15世紀初めにヴィータウタス大公によってクリミアから連れてこられたトルコ語系の人々。もともとの地のカライメは絶えてしまったというが、この地には200名ほどが民族性を保ちながら暮らしているという。
<ヴィリニュス> 最後に今日の宿泊地であり今回の旅の最終目的地であるヴィリニュスに向かう。今日は夕食のみ。夕食はロキスという旧市街のレストランで、民族音楽を聞きながらの食事を楽しんだ。料理は普通のステーキだったがとてもおいしかった。
ホテルは旧市庁舎からほど近いコンティという比較的新しいホテル。到着したら、一部の部屋が水道管のトラブルで使えないとのこと。自分を含む単身の3名と添乗員・ガイドが他のホテルに移されることになった。いつものように夜景の写真を撮りにでかけようと思っていたので、予定が狂いがっかり。
移されたはホテルはヴィングリアイという4つ星ホテルでそんなに悪くなかったのが救い。部屋にはジャグジーバスがついていたので、夜出かける代わりに、ゆっくり疲れをとることにした。
バルト3国訪問4日目:リトアニア・ヴィリニュス ― 2008/05/04 23:44
今日はバルト3国旅行の最終日。一日リトアニアのヴィリニュスで過ごす。これまでの日程のなかで一番余裕がある。
午前中はグループでヴィリニュスの主な見どころをガイドさんの説明で周る。
まずは、ヴィリニュスのランドマーク大聖堂へ。日曜日のミサのため、中での撮影はできなかった。その後、歩いて大統領官邸へ。官邸には旗がたっていて、リトアニアの母の日にも大統領が執務しているという。
次に訪れたのはガイドのユリアさんが日本語の先生をしているヴィリニュス大学。本来日曜日の見学はできないとのことだが、先生の職権を利用して、特別に入場。16世紀から続く、欧州で最も古い大学のひとつ。大学の建物そのものが文化遺産のよう。
これも特別に構内にある聖ヨハネ教会にも特別に入らせてもらった。大学で特に目を引いたのはフレスコ画が描かれた2階のホール。自然崇拝の自体の生活を描いた「四季」のフレスコ画は非常にユニーク。
次に向かったのは琥珀博物館。ツアーにつきもののお土産屋さんへの拉致。時間がもったいなかった。
その後、聖アンナ教会を見、展望台にのぼりてヴィリニュスの市街を一望。
さらに旧市街の中心を通るピリエス通りの南端にある夜明けの門を訪れる。この門の上にある聖母のイコンはいろいろな願いをかなえてくれたという。
昼食以降は自由行動。昼食は同僚と二人でリトアニア料理のお店ガピへ。そこで名物のリトアニア風水餃子とポテトのパンケーキをそれぞれ注文。
昼食後は一人で、まだ訪れていない教会等を歩いてまわった。4時10分の集合までには、かなり周ることができた。
今回の旅行は、3カ国を縦断することもあり、ツアーとしたがかなり満足度の高い旅行だった。
フランス語会話 ― 2008/05/05 23:03
今年に入ってから、フランス語会話のレッスンを毎週月曜日に受けている。これで、4ヶ月になるがちっとも上達しない。
それもそのはず、レッスンの1.5時間以外には最小限の宿題しかやっていないから。それと車の中で仏語のCDを聞いているだけ。
今日のレッスンでは、語学落ちこぼれの悲哀を十分に味わった。何回もでてくる単語の意味が思い出せない。動詞の変化、名詞の性といった基本がまったくできない。どんどん自信がなくなって、本来簡単な文法さえもわからなくなってしまった。一瞬頭の中が真っ白。
もともとは語学専攻なので、言語習得の技術はあるはずなのだが、単純に勉強していないのだから仕方ない。先週のリトアニアのガイドさんは毎日、5時間以上日本語を勉強すれば2年で漢字も含めて相当なレベルになれるといっていた。それを考えれば、自分の努力不足が情けない。
今週から心を入れ替え、もっと真剣に仏語を勉強したい。
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